2013年6月9日日曜日

スマホアプリに対するユーザの誹謗中傷コメントについて考える

今回はゲーム開発というよりは、ちょっとした私の意見を少しお話ししたいと思います。
お話するテーマは『スマホアプリに対するユーザの誹謗中傷コメントについて考える』です。

なぜこんなことをお話しようと思ったかというと、
現在DotQuestをandroid,iPhoneにてリリースしているのですが、そのDotQuestに対するコメントを読んでいて、アプリ制作者としていろいろと思うことがあったからです。

DotQuestのコメントは、絶賛してくれる方から、ボロクソに批判する人まで様々です。
(実際はほめてくれる方が多くて、私はやさしいユーザ様が多いと感激しておりますが。)
DotQuestのストーリーは粗末なものですし、無料版はずっと広告もされており、操作性はとても悪いです。お世辞にも最高のゲームとは言えません。
従って、DotQuestに対してユーザ様が批判的なコメントをするのはよくわかります。
DotQuestがコンテンツとして『良くない』と評価されることに対しては、私はそれを受け入れ、そこから学ぶことが重要であると認識しています。

ですが、批判を通り越して、単なる悪口、誹謗中傷になっているケースが、DotQuestに限らず多々見られます。
(いや、DotQuestはそういう悪口はあまりなかったですね。いいユーザ様に囲まれて私は幸せです。)
また、アプリを通り越して、製作者に対する悪口になっているケースもありますね。
(私も、twitterか何かでDotQuest開発者死ねと言われました。。。あれはきつかったなぁ。)

どうしてこのような悪口的なコメントが多くあるのか、というのはなかなか難しい問題ですが、人間は本来、攻撃性が高い生き物なのかもしれません。ただ、人間は集団行動を基本とする部分もあるために、自分のコミュニティ内では、攻撃は自分自身の不利益になり得ると判断し、協調性を重視するのかもしれませんが、自分の所属するコミュニティの外に対しては攻撃性の本能が発揮してしまっているのかもしれません。
つまり、知っている人間には気を使うが、知らない人間に対しては気を使わないということです。
アプリのコメントは自分の知り合いに対してのものではありませんから、容赦がないのですね。

でも、人間の本能的なものであれば、悪口的なコメントをする人たちはとても人間らしいとも言えます。だから、悪いことかと問われれば、悪いことではないのかもしれません。

ただし、私が思うに、例えコミュニティの外に対してであっても、攻撃をすることは自分自身に対して不利益が生じているのだと思います。ただ見えにくい、もしくは小さくなっているというだけで。
世の中っていうのは、常に回っているものです。経済においても重要なのは多くの金を回すことですよね。
経済面的な側面から、つまりは金の流れという観点から物事を見た場合、大ざっぱに言うとサービスを提供する側とサービスを受ける側に分かれ、それらの間で金銭とその金銭と同等の価値を持つ何らかの利益を交換することの連続で世の中は回っていると私は思っています。
つまり、すべての人間はその連続の中で繋がっていて、回っているということは自分の発した影響が自分に返ってくるということです。
だから、例え関係ない人であっても攻撃し、傷つけた場合、その影響は必ず自分自身に届きます。もしかしたら、ほとんど無視できるくらい小さなものになっているかもしれませんが。

日本のことわざに『情けは人の為ならず』という素晴らしい言葉があります。
情けは人の為ではなく、いずれ巡り巡って自分に返ってくるものだから、人には親切にしなさいという意味の言葉です。
この言葉は、自分の所属するコミュニティ内でのみ適用される言葉ではなく、全世界という広範囲に対して適用される言葉だと私は思っています。
ですから、どんな人に対してでも、電車ですれ違うだけの他人に対してでも、どうせなら親切にしておいたほうが、今後何かいいことがあるかもしれません。

アプリに対するコメントも単に傷つける内容を書くことは、多くの人を不幸にするだけですし、
自分自身さえも不幸にするだけです。
つまり私が言いたいのは、悪口的なコメントをすることは決して悪いことではありませんが、自分自身のためにも控えることが利口なやり方だということです。

まあ、しかし、このような理屈から自分自身を制御しようとする私はとても人間らしくないのかもしれないですがw
でも、少しでも多くの人が、こういったことを意識してほしいと私は願っているのです。
そしたら世の中がもっと幸せに満ちるのではないかと私は期待せずにはいられません。

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