2015年7月2日木曜日

今日で5年目突入です

今日で自分の会社を設立してから4年が経ち、5年目を迎えました。もう4年が経ってしまったのですね。時間の流れが早くなったものだなと思うと共に歳をとったなと感じます。 始めは前職の先輩と同期の友達と3人で始めた会社でしたが、1年後には私1人になり、それから3年。なかなかに忙しかった3年でした。今思い出すとなかなか感慨深いですね。 自分の会社での4年間が楽しかったかと問われると、とても難しいですが、3人で始めた最初に一年は楽しかったなと今でも思います。やっぱり一人は寂しくてつまらないです。それでも3年も続けたのはなぜなんだろうなと今でも時々思います。会社はそんなにお金を稼いでいたわけでもないですし、そんなに魅力的なことをしていたわけでもありません。 でも、そんなウチにも就職したいという人が数人いました。おそらくは他に行くところがなくて、困った末に藁にも縋る思いで来たのでしょうが、結局うちに就職することはありませんでした。一緒にゲームを作りたいという人も数人コンタクトを取ってきたことがありました。だいたいは連絡しなくなって頓挫するのですが、現在進行中でゲームを作っている人が今は二人います。 こういう風に自分にコンタクトを取ってくれる人間がいると、私が今やっていることにも意味があるようで、それでやめられないのかもしれません。 何かの記事で、芸術家を目指した人が30半ばで諦め就職しようとしたけど、就職できないという話を目にしました。芸術家としての技術はあっても、それを普通の会社で役立てることはできないのでしょう。普通の会社にとって必要なのは、会社で必要な能力なので30半ばの芸術家はお荷物にしかならないと判断されるのでしょうね。これは仕方ない事なのかもしれませんが、芸術家をめざし、努力をし続けた人間が一度の失敗でこんな結末になるなんて、私は間違っているとその時思いました。そんな人にこそ救いがあるべきで、私はそんな救いの手を差し伸べてあげられる人間にいつかなりたいと思っています。こんなことを言うのはとても恥ずかしいですね。でも、その30代半ばの芸術家さんにもできることはあるはずで、それを見つけ出し、仕事を与えてあげるのが上に立つ者の役目であり、社会の役割なんだと私は思います。切り捨てていい人間などこの世には一人として存在せず、人を評価できないのは自分が無能であることを露呈させます。人をどう評価するかで、評価する人の器が試されているみたいですね。 余計な話をしてしまいましたが、とにかく今日で4年が経ちました。今日はめでたい日です。今、業務委託で週5で通勤している会社さんがあるのですが(ほとんどサラリーマン!?)、その会社は今忙しいのに、今日は休ませてもらいました。毎年7月1日は休みと決めているからです。仕事を一切しない日は今日だけです。 今年は特に忙しいので、明日からはまた休む暇がない日々が始まります。そういえば知人に、私はワーカホリックだと、そしてドMだと言われたことがありました。私にはそんな自覚はなかったのですが、つまりは忙しい日々をも楽しむことができれば、私も勝ち組なのだということなのでしょうかね。